織田信長が怒りやすかったのは糖尿病!?
信長はなぜ怒りっぽかったか?
私マイケルは歴史がだい好きで、特に日本史なら幕末、戦国時代。(世界史も好きですが)
さて、信長が糖尿病ではなかったか?という説があります。
糖尿病は、紀元前15世紀からあったのではと言われる。
でも、当時は血糖値を調べる方法どころか"糖尿病"の病名すらない。
しかし歴史文献に残る症状が、糖尿病と酷似していることから推測できる。
歴史上の人物に、糖尿病を疑う人物が何人かいて、
たとえば平安時代NO1の権力者、藤原道長。
藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記」に、道長の症状が記されている。
道長が51歳の頃、外出先で気分が悪くなり、引き返す途中、しきりに水を欲し、
以降もしばしば喉の渇きを訴えるようになったと言う。
糖尿病は「渇きの病」と呼ばれるほど、喉が渇く。
道長自身の日記にも、晩年に視力が落ちたとあり、
これも糖尿病の3大合併症のひとつ「糖尿病網膜症」では?
ちなみに藤原道長の叔父や兄なども同じ症状である。
当時は、喉が渇くから「飲水病」と呼ばれていた。
同じく、糖尿病説の織田信長。手足がしびれたり、関節の痛みを感じ、
年を追うごとに痛みが増していた。
比叡山の焼き討ちに代表される残虐行為は、3大合併症のひとつ「糖尿病神経障害」からくるイライラや癇癪(かんしゃく)、が引き金かも。
神経障害で、体中に激しい痛みが襲う。それが怒りにかわり、冷静で平和的判断ができなかったのかも。
海外で糖尿病を疑う歴史上の人物は、ドイツの音楽家、バッハ。
若くして有名になったバッハですが、実は美食家としても有名だった。
時には1食で2000kcalを超える食事もある大食漢で太っていた。
太っていると必ず糖尿病になるわけではありませんが、
肥満が糖尿病の引き金になることは十分考えられる。
晩年には藤原道長と同様、目の病があった。
糖尿病は切れやすくなることは、
キレない性格になる麦ごはん!?血糖値を抑えるNHKあさイチより
を参照下さい。
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