織田信長が怒りやすかったのは糖尿病!?

2016年3月24日

信長はなぜ怒りっぽかったか?

私マイケルは歴史がだい好きで、特に日本史なら幕末、戦国時代。(世界史も好きですが)

さて、信長が糖尿病ではなかったか?という説があります。

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糖尿病は、紀元前15世紀からあったのではと言われる。

でも、当時は血糖値を調べる方法どころか"糖尿病"の病名すらない。

しかし歴史文献に残る症状が、糖尿病と酷似していることから推測できる。

歴史上の人物に、糖尿病を疑う人物が何人かいて、

たとえば平安時代NO1の権力者、藤原道長。

藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記「小右記」に、道長の症状が記されている。

道長が51歳の頃、外出先で気分が悪くなり、引き返す途中、しきりに水を欲し、

以降もしばしば喉の渇きを訴えるようになったと言う。

糖尿病は「渇きの病」と呼ばれるほど、喉が渇く。

道長自身の日記にも、晩年に視力が落ちたとあり、

これも糖尿病の3大合併症のひとつ「糖尿病網膜症」では?

ちなみに藤原道長の叔父や兄なども同じ症状である。

当時は、喉が渇くから「飲水病」と呼ばれていた。

同じく、糖尿病説の織田信長。手足がしびれたり、関節の痛みを感じ、

年を追うごとに痛みが増していた。

比叡山の焼き討ちに代表される残虐行為は、3大合併症のひとつ「糖尿病神経障害」からくるイライラや癇癪(かんしゃく)、が引き金かも。

神経障害で、体中に激しい痛みが襲う。それが怒りにかわり、冷静で平和的判断ができなかったのかも。

海外で糖尿病を疑う歴史上の人物は、ドイツの音楽家、バッハ。

若くして有名になったバッハですが、実は美食家としても有名だった。

時には1食で2000kcalを超える食事もある大食漢で太っていた。

太っていると必ず糖尿病になるわけではありませんが、

肥満が糖尿病の引き金になることは十分考えられる。

晩年には藤原道長と同様、目の病があった。

糖尿病は切れやすくなることは、

キレない性格になる麦ごはん!?血糖値を抑えるNHKあさイチより

を参照下さい。

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