医者の中の医者、カルロ・ウルバニ博士の人生。

2011年11月3日

医者の中の医者、カルロ・ウルバニ博士の人生。
 
ザ ベストハウス123 
世界大パニック!恐怖の殺人ウイルススペシャル!より
 
野口英世よりも偉大な、医師カルロ・ウルバニ博士。
人類滅亡を救ったキリストのような気高き医師の、
 
恐怖のウイルスSARSと、命をかけて戦った医師の、
 
約1ヶ月間の壮絶な物語。
 

 カルロ・ウルバニ博士は、イタリア人の内科医。
 
 
母国イタリアでは、エイズなどの研究で、成果を上げたエリート医師。
 
しかし、その地位を捨てて、国境なき医師団に所属、
 
そのイタリア支部の会長にまで選ばれるほど働き、
 
1999年に国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞した際には、
 
授賞式に参加する代表団にまで選ばれた。
 
そして医学博士号を取得した後に、WHOに採用され、
 
あえて発展途上国のベトナムで、
 
感染症の対策を志願した熱血医師。
 
  WHO(世界保健機関)とは、193ヵ国に現地事務所を持つ国連の組織。
各国の医学の実態や感染病などの情報収集を行う。
 
 
 カルロ・ウルバニ博士の本来の仕事は、ベトナムのWHO事務所の仕事だけで良い。
 
しかし、
 
貧しくて病院に行けない人々のために、ボランティアでお客様をみていた。
 
そんななか、
 
 2003年3月、ベトナムのWHOに、ハノイの、ベトナムで唯一の総合病院から、
 
どんな薬も効かないお客様がいると電話が入った。
 
ウルバニ博士は、病院に駆けつけた。
 
そのお客様は、激しい咳をしていた。
 
40度近い高熱が4日も続き、下がる気配もない。
 
お客様の肺のレントゲン写真は、
 
左右とも白い影に覆われている。
 
どんな薬も効かず、
 
あっという間に、大人の男性を呼吸困難にする、恐ろしい謎の病。
 このお客様は香港からベトナムに来たらしい。
 
この時、ある情報が頭をよぎる。
 
それは3週間前、中国のWHOから、
 
広東省で原因不明の肺炎が流行しているとの情報。
 
広東省は香港の隣り。
 
広東省などは、動物と共に生活する習慣があり、
 
動物のウイルスが人間に感染し、
 
新型ウイルスに変異する事例が起きやすい。
 
もしや、そのウイルスが、ベトナムに広がり始めた?
 
と、ウルバニ博士は、スイスのWHO本部に報告。
 
エリート医師の地位を捨て、
 
命を救うため無報酬で、国境なき医師団に参加し、
 
世界の辺境で活動してきたウルバニ博士。
 
そんな夫を20年間支えてきた妻・ジュリアーナは、
 
周囲の反対を押し切り、
 
夫を支えるために、3人の子供とベトナムに移住していた。
 ウルバニは、謎のウイルスの正体をつかむため、
 
お客様から体液を採取、スイスのWHO本部やベトナム国立感染研究所にも分析を依頼。
 
しかし、未知のウイルスは、一向にわからない。
 
 ウルバニの脳裏をよぎったのは、歴史に残る大惨事、
 
スペイン風邪。
 
20世紀初頭に、世界中で猛威を奮ったインフルエンザ。
 
感染者は、全世界で6億人。
 
その10分の1の、
6000万人が死亡。
 
当時の世界人口の実に30人に一人が命を落とした。
 
 
ここまでスペイン風邪が広がった原因は、
 
発生から2年間も、病原が分からず、何の対処も出来ないまま、
 
世界中にウイルスが広まったから。
 
 このままでは、スペイン風邪の二の舞になる。
 
パンデミックを避けるには、ウイルスの正体を突き止めるしかない。
 
 だが、恐ろしい事態は、既に起きはじめていた。
 
薬が効かないお客様を見てから、2日後、
 
その総合病院で、お客様を看護していたナースに院内感染。
 
謎の肺炎を発症した人は一気に8人に!
 
恐るべき感染力。
 
 事態を把握したウルバニ博士は、
 
すぐ院長に、病院閉鎖を訴えた。
 
 しかし院長は反対。
 
総合病院には、1日数百人のお客様が訪れる。
 
病院を閉鎖すれば、救えない命が出る。
 
院長の拒絶も、医師としての思いからだった。
 
 
どれだけ訴えても、ウルバニ博士の提案は聞き入れられなかった。
 
しかし、やがて他の病院のスタッフにも、
 
次々と、最初のお客様と全く同じ症状が現れ始めた。
 
これで病原がウィルスであり、しかも人に感染することが確定的になった。
 
病院で人々が不安を募らせる中、
 
博士は病院内に隔離病棟を設けて監視を続け、スタッフを元気づけた。
 
SARSが極めて伝染力の強い悪性の感染症であることが分かるにつれ、
 
ウルバニ医師は既に取り始めていた院内感染対策を徹底すると共に、
 
感染者の聞き取り調査から、
 
彼らが最初のお客様のごく近くにいた事実を突き止めた。
 
空気感染ではなく、飛沫感染である可能性が強まった。
 
こうしてウルバニ博士が整理した情報は、
 
後にSARSを制圧してゆくために大きく役だった。
 しかし未知の病気に見舞われたスタッフは、パニック寸前に。
 
ウルバニ博士は職員の恐怖を鎮めることに努めながら、
 
休む間もなく感染者の様子を見つつ、研究や報告と次々と手を打った。
 
 
 ウルバニ博士の危険を気遣う、家族に対して、
 
博士はこう言った。

 

「こうした状況で私が働かなかったら、
 
一体私は何のためにここにいるのか?
 
Eメールの返事を書き、カクテルパーティーに出席し、
 
論文を書くためか」
 
と。
 
ウルバニ博士は自ら感染するリスクを恐れず、
 
毎日、病室に通い、感染者の症状を、克明に記録した。
 
 それだけではない。
 
寝る時間さえ惜しんで、自らの体を酷使して、
 
高熱と呼吸困難と、死の恐怖に苦しむ感染者に近づき、
 
心から懸命に励ました。
 
お客様の心に希望の光を灯すために。
 
 ウルバニ博士は、データを分析し、
 
その結果、いくつかの特徴が明らかになった。
 
このウイルスは、咳、くしゃみなどでうつる、飛沫感染で、
 
潜伏期間は、3日から5日。
 
重度の肺炎を伴い、高熱が下がらない。
 
ウルバニ博士が得たこのデータが、後に大きな役割を果たす。
 
 
 ウイルスの広がりは、想像以上の速さだった。
 
感染者が8人になった、そのわずか2日後。
 
感染者は20人を越えた。
 
 しかも、その全てが病院スタッフ。
 
もはや、病院としての機能が保てない、
 
ここで院長は、ようやく病院閉鎖を決断した。
 
病院は関係者以外は立入禁止になり、病室は くまなく消毒され、
 
肺炎感染者は、一つの病棟に隔離された。
 
ウルバニ博士の熱意で院内感染の拡大は回避された。
 
 しかし謎のウイルスは、
 
想像を遙かに越えるスピードで、世界に広がり始めた。
 
そこでウルバニ博士は、驚くべき行動に出た。
 
 WHOの一職員に過ぎない彼が、
 
ベトナム政府に緊急会議を開くことを要請した。
 
当初、ベトナム保健省は、「単なるインフルエンザだろう」と事態を軽く見ていた。
 
会議は、ベトナム保健省で開かれた。
 
副大臣以下、居並ぶ官僚に、ウルバニはとんでもない提案をする。
 
「この国を、今すぐ閉鎖して下さい。」
 
だが、人の出入りを制限すれば、国の経済に莫大な損失は明らかだった。
 
「そんな事をすればベトナムは、破産してしまうぞ!」
 
会議は3時間以上続いた。
 
 その熱く語るウルバニをじっとみつめる男がいた。
 
保健省の副大臣だ。
 
彼こそ、最終決定権を持つ男。
 
その男に、ウルバニは最後の言葉を投げかけた。
 
「私は、医者です。
 
人の命を守るのが、私の仕事です。」
 
「国も、人の命を守るのが、
 
仕事では無いのですか?」
 
 
この時、副大臣は、
 
初めてこの会議で、口を開いた。
「私は、副大臣として、国の閉鎖は、しない。」
 
「しかし、
 
人間として、やらなければならない。」
 
「あなたは、
 
私の心に火を付けたようですね。」
ついに、副大臣は新型ウイルス対策を約束した!
 
ベトナム政府は即刻、国民の、海外への移動を制限!
 
空港や、港でも検疫を行い、ウイルス流出を防いだ。
 
さらに、街全体を徹底的に消毒、国を挙げてウイルス対策に全力をあげた。
 
  しかし、神さまはウルバニに、ウイルスと闘う時間をお与えにならなかった。
 
ウルバニも、謎のウイルスに感染・・・。
 
3月11日に、タイのバンコクを対策会議出席のため訪れた際に発症した、
 
ベトナムの病院は、増え続ける感染者でパンク状態な事を、
 
誰よりも知っているウルバニ博士。
 
発症した自分が、愛する家族の下に帰ることはできない。
 
ウルバニ博士は、妻に電話をかけた、
 
妻ジュリアーナは、言葉少ないが優しい夫の電話で、全てを悟った・・・。
 
夫は、自分一人で、恐怖のウイルスと戦うと決めた事を。
 
そして、翌日の2003年3月12日。
 
WHOは、ウルバニ博士の命がけの訴えを受け、
 
WHO始まって以来、初の、警告を出した。
それはグローバルアラート。
WHOが、世界に発信する最も強い警告。
 
大流行の恐れが高い、危険な感染病に対してのみ出される警告。
 
自ら発症しながら、世界に新型ウイルスの危険を知らせたウルバニ博士。
 
グローバルアラートによって、恐怖のウイルスの存在が、世界に知れ渡った。
 
同時に、その対処法も素早く広がった。
 
その方法は、ウルバニ博士が命懸けで発見した、新型ウイルスの情報だった。
 
そして、謎の肺炎は、
 
重症急性呼吸器症候群、
SARS(サーズ)と名付けられた。
 
グローバルアラートから17日後、
 
ベトナムで最初にウイルスを撒き散らした中国系の男は、
 
SARSから回復し、元気になったにも関わらず、
 
WHOのウイルス対策チームもいない、
 
孤立無援のタイで、誰にも感染させることなく、
 
ウルバニ博士は、一人静かに息を引き取った・・・。
 
享年46歳。
 
3人の子供と妻を残して・・・。
サーズは、世界で8000人近く感染者を出し、
 
死者は700人以上に上った。
 
中国と香港でそれぞれ死者300人前後、
 
シンガポール、台湾、カナダで30~40人の死亡者が出たが、
 
ベトナムでの死亡者数はわずかに5人、
 
それも最初の感染者をみた病院のナースだけだった。
 
もし、ウルバニ博士の命がけの活躍がなければ、
 
全世界にスペイン風邪のような被害を出したかもしれない。
 
ウルバニ博士の働きにより、ベトナムの感染者はたった25人。
 

最初に感染者が出た病院内の感染者だけで食い止めた。

 
WHOは、こんな言葉を贈った。
 
ウルバニ博士は、何よりも人間の命を救うことを一番に考える、
 
最も医者らしい医者だったと。
 
彼の遺体がイタリアで国葬とされ、
 
そして生まれ故郷に帰ったとき、
近所の人々が大勢集まって遺体に向かって拍手でその労をねぎらった。
 
なんて温かく、優しく、誇り高い社会。
 
こういうカトリックの精神が彼を育てていたのだろう。
 
この生き様を知った子供達の中に、
 
博士の遺志を受け継ぐような子供が、きっと出ると私は信じる。

子供たちの幸せをねがう、

 

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Posted by マイケル一条